1808年5月、ナポレオンはスペイン・ブルボン朝の内紛に介入し、ナポリ王に就けていた兄ジョゼフを今度はスペイン王に就けた。しかしこれに対するスペインの反発は激しく、半島戦争(1808年-1814年)が起こり、蜂起した民衆の伏兵による抵抗にフランス軍は苦戦する(「ゲリラ」という語はこのとき生まれた)。ナポレオン軍のスペイン人虐殺を描いたゴヤの絵画は有名である。ナポレオンが「スペインの潰瘍が私を滅ぼした」と語ったとおり、このスペインでの戦役は、ナポレオンの栄光のターニング・ポイントであった。スペインの背後には当然のことながらイギリスもついた。7月、スペイン軍・ゲリラ連合軍の前にデュポン将軍率いるフランス軍が降伏。皇帝に即位して以来ヨーロッパ全土を支配下に入れてきたナポレオンの陸上での最初の敗北だった。
ナポレオンがスペインで苦戦しているのを見たオーストリアは、1809年、ナポレオンに対して再び起ち上がり、プロイセンは参加しなかったもののイギリスと組んで第五次対仏大同盟を結成する。4月のエックミュールの戦いではナポレオンが勝利し、5月には2度目のウィーン進攻を果たすがアスペルン・エスリンクの戦いでナポレオンはオーストリア軍に敗れた。しかし続く7月のヴァグラムの戦いでは双方合わせて30万人以上の兵が激突、両軍あわせて5万人にのぼる死傷者をだしながら辛くもナポレオンが勝利した。そのままシェーンブルンの和約を結んでオーストリアの領土を削り、第五次対仏大同盟は消滅した。
この和約の後、皇后ジョゼフィーヌを後嗣を生めないと言う理由で離別して、1810年にオーストリア皇女マリ・ルイーズと再婚した。この婚約は当初ロシア皇女が候補に挙がっていたが、ロシア側の反対によって消滅。オーストリア皇女に決定したのは、オーストリア宰相メッテルニヒの裁定によるものであった。そして1811年に王子ナポレオン2世が誕生すると、ナポレオンはこの乳児をローマ王の地位に就けた
大陸封鎖令を出した事でイギリスの物産を受け取れなくなった欧州諸国は経済的に困窮し、しかも世界の工場と呼ばれたイギリスの代わりを重農主義のフランスが務めるのは無理があったので、フランス産業も苦境に陥った。1810年にはロシアが大陸封鎖令を破ってイギリスとの貿易を再開。これに対しナポレオンは封鎖令の継続を求めたが、ロシアはこれを拒否。そして1812年、ナポレオンはロシア遠征を決行する(ロシア側では祖国戦争と呼ばれる)。
フランスは同盟諸国から徴兵した60万という大軍でロシアに侵入したが、兵站を軽視したため、広大な国土を活用したロシア軍による徹底した焦土戦術によって苦しめられ、飢えと寒さで次々と脱落者を出した。さらにモスクワをも大火で焦土とされたため、ナポレオン軍は総退却となった。冬将軍と呼ばれるロシアの厳しい気象条件も重なり、数十万のフランス兵が失われ、無事に本国まで帰還してこられたものはわずか5千であったという。それに加え、パリではクーデター未遂が起こされた(首謀者マレー将軍は後に銃殺)。ナポレオンはクーデターの報を聞き、撤退する軍よりも早く帰国する。この途上でナポレオンは、大陸軍の惨状を嘆き、百年前の大北方戦争を思い巡らせ、「余はスウェーデン王カール12世の様にはなりたくない」と洩らしたという[9]。
この大敗を見た各国は一斉に反ナポレオンの行動を取る。初めに動いたのがプロイセンであり、諸国に呼びかけて第六次対仏大同盟を結成する。この同盟には元フランス陸軍将軍でありナポレオンの意向によってスウェーデン王太子に就いていたカール14世ヨハンのスウェーデンも参加していた。ロシア遠征で数十万の兵を失った後に強制的に徴兵された、新米で訓練不足のフランス若年兵たちは「マリー・ルイーズ兵」と陰口を叩かれた。1813年春、それでもナポレオンはプロイセン・オーストリア・ロシア・スウェーデン等の同盟軍と、リュッツェンの戦い・バウツェンの戦いに勝って休戦にもちこむ。メッテルニヒとの和平交渉が不調に終わった後、秋のライプツィヒの戦いではナポレオン軍は対仏同盟軍に包囲されて大敗し、フランスへ逃げ帰った。
1814年になるとフランスを取り巻く情勢はさらに悪化。フランスの北東にはカール・フィリップ、ゲプハルト・フォン・ブリュッヒャーのオーストリア・プロイセン軍25万、北西にはカール14世のスウェーデン軍16万、南方ではウェリントン公アーサー・ウェルズリー将軍のイギリス軍10万の大軍がフランス国境を固め、大包囲網が完成しつつあった。一方ナポレオンはわずか7万の手勢しかなく絶望的な戦いを強いられた。3月31日にはフランスナポレオン帝国の首都パリが陥落する。ナポレオンは外交によって退位と終戦を目指したが、マルモン元帥らの裏切りによって無条件に退位させられ(4月4日、将軍連の反乱)、4月16日のフォンテーヌブロー条約の締結の後、エルバ島の小領主として追放された。この一連の戦争は解放戦争と呼ばれる。
ナポレオンは、ローマ王だった実子ナポレオン2世を後継者として望んだが、同盟国側に認められず、また元フランス軍人であり次期スウェーデン王に推戴されていたカール14世ヨハンもフランス王位を望んだが、フランス側の反発で砕かれ、紆余曲折の末、ブルボン家が後継に選ばれた(王政復古)。
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